谷崎潤一郎

私は夫を半分は激しく嫌い、半分は激しく愛している。私は夫とほんとうは性が合わないのだけれども、だからといって他の人を愛する気にはなれない。私には古い貞操観念がこびり着いているので、それに背くことは生れつきできない。私は夫のあの執拗な、あの変態的な愛撫の仕方にはホトホト当惑するけれども、そういっても彼が熱狂的に私を愛していてくれることは明らかなので、それに対して何とか私も報いるところがなければ済まないと思う。あゝ、それにつけても、彼にもう少し昔のような体力があってくれたらば、………一体どうして彼はあんなにあの方面の精力が減退したのであろうか。………彼に云わせると、それは私があまり淫蕩に過ぎるので、自分もそれにつり込まれて節度を失った結果である、女はその点不死身だけれども、男は頭を使うので、ああいうことがじきに体にこたえるのだという。そう云われると恥かしいが、しかし私の淫蕩は体質的のものなので、自分でもいかんともすることができないことは、夫も察してくれるであろう。夫が真に私を愛しているのならば、やはり何とかして私を喜ばしてくれなければいけない。 ** 私と木村氏とはありとあらゆる秘戯の限りを尽して遊んだ。私は木村氏がこうしてほしいと云うことは何でもした。何でも彼の注文通りに身を捻じ曲げた。夫が相手ではとても考えつかないような破天荒な姿勢、奇抜な位置に体を持って行って、アクロバットのような真似もした。(いったい私は、いつの間にこんなに自由自在に四肢を扱う技術に練達したのであろうか、自分でも呆れるほかはないが、これも皆木村氏が仕込んでくれたのである)ところで、いつもは彼とあの家で落ち合うと、合ってから別れるギリギリの時間まで、一秒の暇も惜しんで全力的にそのことに熱中し、何一つ無駄話などはしないのであるが、今日はふっと、「郁子さん、何を考えているんですか」と、木村が眼敏とく気がついて私に尋ねた瞬間があった。(木村はとうから私のことを「郁子さん」と呼んでいるのである)「いゝえ別に」と、私は云ったが、その時、ついぞないことに、夫の顔がチラリと私の眼の前を掠めた。